佐藤翔太は、東京・世田谷の高級住宅街にある一軒家で育った。
父は外資系金融機関の幹部、母は元キャビンアテンダント。
家にはグランドピアノと暖炉があり、リビングには海外製の家具が並んでいた。
幼稚園から私立、習い事はピアノ、スイミング、英会話。周囲からは「理想的な家庭」と言われていた。
父は外資系金融機関の幹部、母は元キャビンアテンダント。
家にはグランドピアノと暖炉があり、リビングには海外製の家具が並んでいた。
幼稚園から私立、習い事はピアノ、スイミング、英会話。周囲からは「理想的な家庭」と言われていた。
だが、翔太は幼い頃から「何かが足りない」と感じていた。
母・佐藤玲子は完璧主義者だった。食事は栄養バランスが計算され、服装は季節と流行に合わせて選ばれた。
だが、彼女の関心は「世間体」と「成果」に向いていた。翔太が絵を描いて見せても、「もっと丁寧に描きなさい」と言われるだけ。テストで90点を取っても、「あと10点はどうして落としたの?」と返された。
抱きしめられた記憶は、ほとんどない。
父は仕事でほとんど家にいなかった。週末にゴルフ、平日は深夜帰宅。翔太は「いい子」でいることで、家族の中に居場所を作ろうとした。だが、心の中には常に空洞があった。
大学は慶應義塾大学の経済学部。周囲はエリート志向の学生ばかりで、翔太も「成功しなければ価値がない」と思い込んでいた。就職先は不動産業界の大手企業。営業職として配属され、初日から「数字がすべて」の世界に放り込まれた。
毎朝7時に出社し、夜は終電。上司からは「お前は甘い」「客の財布を開けるのが仕事だ」と罵倒され、同僚は泣きながら電話をかけ続けていた。翔太も例外ではなかった。
ある日、契約が取れずに詰められた翔太は、帰宅途中の電車で過呼吸を起こし、駅員室に運ばれた。病院で「適応障害」と診断され、会社を辞める決意をする。
無職となった翔太は、世田谷の実家に戻った。母は「せっかく慶應まで出たのに」とため息をつき、父は「しばらく休めばいい」と言ったが、関心は薄かった。
翔太は部屋にこもり、スマホを眺める日々を送った。そんなある日、YouTubeで「波動で人生が変わる」という動画に出会う。画面の中の男は白いローブを纏い、「あなたは選ばれし魂です」と語りかけていた。
その言葉に、翔太は涙を流した。
「俺にも意味があるのかもしれない」
彼は動画を繰り返し再生し、関連動画を漁った。「宇宙の法則」「前世の記憶」「カルマの浄化」——どれも、今までの人生で感じた空虚さを埋めてくれるように思えた。
翔太はスピリチュアル起業を決意した。まずはTwitterで「波動調整師」としてアカウントを開設し、自己啓発本の受け売りをツイート。数日後、フォロワーが1000人を超え、DMで「セッション希望」が届く。
彼は実家の一室を「ヒーリングルーム」と称し、1回5000円の波動セッションを開始した。部屋には100均で買ったクリスタル、アロマ、LEDキャンドル。雰囲気だけは整っていた。
翔太は思った。
「これが俺の居場所だ。やっと、誰かに必要とされている」
だが、この道の先に待っているのは、さらなる孤独と破滅だった。
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