佐藤翔太は、東京を離れた。
美咲の自殺未遂が報じられ、SNSでは「波動詐欺師」「スピ系洗脳屋」といった言葉が飛び交った。かつての信者たちは沈黙し、霧島レイをはじめとする業界の“先輩”たちは、翔太との関係を一斉に否定した。


「波動の低い人とは関わらないようにしています」
霧島がXに投稿したその一文は、翔太の胸を深く刺した。彼女のセミナーに通い、言葉を信じ、模倣してきた自分は、今や“業界の汚点”として切り捨てられたのだ。
予約はゼロ。物販の注文も止まり、在庫は売れ残ったまま。広告費の支払いも滞り、クレジットカードはすべて止まった。闇金からの督促電話が鳴り続け、翔太はスマホの電源を切った。
彼は、逃げるようにして東京を離れた。



向かった先は、長野県の山間部にある古びた民宿だった。かつて信者の一人が紹介してくれた場所で、今は空き家になっていた。電気と水道は通っていたが、暖房は石油ストーブのみ。冬の山は容赦なく冷たく、夜になると吐く息が白くなった。
翔太は、そこでひとりきりの生活を始めた。
朝は、冷たい水で顔を洗い、コンビニで買ったパンをかじる。昼は、近くのスーパーで半額弁当を探し、夜は布団にくるまってスマホを握りしめた。
唯一のつながりは、Xだった。
「波動が整えば、すべてはうまくいく」
「宇宙は、あなたを見捨てない」
「信じる力が、現実を変える」
彼は、毎日投稿を続けた。だが、反応はほとんどなかった。フォロワーは減り続け、残ったのはスパムアカウントと、たまに届く罵倒のリプライだけだった。
それでも翔太は、投稿をやめなかった。


ある夜、彼は夢を見た。
暗闇の中で、白いローブを纏った霧島レイが立っていた。彼女は微笑みながら、こう言った。
「あなたは、まだ気づいていないだけ。本当の使命は、これから始まるのよ」
目が覚めた翔太は、汗びっしょりだった。だが、胸の奥に奇妙な確信が芽生えていた。
「これは、啓示だ」
彼は、残っていた最後の貯金を仮想通貨に投資した。霧島がかつて「宇宙の通貨」と呼んでいた銘柄だった。価格は上昇傾向にあり、翔太は「これで再起できる」と信じた。
だが、数日後、価格は暴落した。
資産は、ほぼゼロになった。


翔太は、床に崩れ落ちた。手は震え、呼吸は浅くなった。だが、涙は出なかった。感情が、どこかに置き去りにされたようだった。
その夜、彼はXにこう投稿した。
「宇宙は、あなたを試している。信じ続ける者だけが、真実に辿り着ける」
投稿には、誰からの反応もなかった。
翔太は、スマホを胸に抱えたまま、布団に潜り込んだ。外は雪が降っていた。窓の外の世界は、白く、静かだった。



──ふと、実家のことを思い出した。
世田谷の家。白いソファ、無機質なリビング、整いすぎた食卓。母・玲子の姿は、いつも完璧だった。髪は乱れず、言葉は丁寧で、表情は崩れなかった。
「あなた、もう少し普通の仕事に戻ったら?」
あのときの声も、やはり感情の温度がなかった。ただの提案。ただの“正しさ”の提示。
翔太は、母のことを嫌っていたわけではない。ただ、彼女の中に自分の居場所を見つけられなかった。幼い頃から、何かを成し遂げたときだけ、彼女は微笑んだ。テストで良い点を取ったとき、ピアノの発表会で賞をもらったとき、制服の襟を正しく整えたとき。


それ以外のとき、彼女は静かだった。優しくも、冷たくもなかった。ただ、無風だった。
翔太は、あの沈黙の中で育った。
だからこそ、誰かに「ありがとう」と言われるたび、心が震えた。信者の涙、感謝の言葉、依存のまなざし——それらは、かつて欲しかった何かの代用品だったのかもしれない。
けれど今、その“代用品”すら、彼の手からこぼれ落ちていた。


翔太は思った。


「俺は、まだ終わっていない。これは浄化のプロセスだ。すべては、次のステージへの準備なんだ」
そう信じることでしか、自分を保てなかった。


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