高齢処女の東京暮らし

40歳独身、高齢処女の西田です。東京に住んで10年。仮想通貨、毒舌日記、自分の記録。バセドウ病。

カテゴリ: 昔話



20代の頃、大阪でバイト掛け持ち生活をしていた時期があった。



資格とるためスクールに通っていた時期があったので、夜中心に働いていた。



あ~本当によくやったなと今でも思うけど、18時~22時まで某飲食店で仲居のホールバイト


バイトを増やしたくて、23時から朝方まで女性専用スパの見回り清掃のバイト。



人間関係は仲居のバイトは良かったけど、スパの深夜バイトはベテランの九州出身の36歳独身女に苛められて1ヶ月で辞めた。



その他にも受け付けの女、掃除の老婆も陰湿で私より2ヶ月先に入った女性もかなり悪口を言われており私とすれ違いで退社。


それで、その事を仲居のホールの仲間に言ったら



「深夜バイトは昼間のバイトで受からなかったとか難があって働く人が多いから気を付けた方がいいよ」とアドバイスしてくれて納得。



もう年齢的に深夜バイトする体力と気力はないからあまり関係ない話だけど、、



本当に性格悪い女が多かった。



36歳って今の私からしたら若いなって年齢なんだけど、30歳で九州から大阪にやってきたらしい。



彼氏はいるけど、結婚はしないとか言うてたな。



そんな風に人を苛めていた女も今は50歳過ぎになっていると思うけど、もうそのスパも潰れて無くなっているしどうしてるんだろうね。



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子供の頃、テレビに出てくる殺人犯はみんな精神異常者のクズだと思っていた。
このキチガイ殺人犯加藤の親は毒親でかなり偏った家庭環境だった。


毒親にされた事、箇条書きにしてあって読みやすいわ~(←えっ、そこ?(涙))


箇条書き最高。


で、親がキチガイで子供もキチガイになったけど、毒親の子供が全員こんなアホみたいな事をするわけではないし、自分の人生なんだから自分で責任とれよと思ってしまう。


私は感情移入とか同情はないかな。


でも、男子だからプライドとか融通が利かなくて中々難しかったのかもね。


毒親に育てられた子供、特に長男は本当に能力が高くないと悲惨だわ。
あんまり子供らしい伸び伸びした生活をさせて貰えなかったのかな?って奴は確かに身近にいた。


なんか、何歳になっても自分探ししてるとか自分の価値観が定まらない。


まぁ、私もそういった所はあるけど、毒親に育てられると自分の内面と向き合う時間が少ないから、いつも大人の顔色をうかがってばかりだし境界線が曖昧というか、他人にコントロールされるのが常だから自分という物があるようで無いんだよね~っ。


私は30歳になってから親とは連絡を絶って、やっと自分で考えた事を行動に移せるようになったかな。


で、うまくいかなかったけどやって後悔したから悔いはなかった。


悔いがなかったからこそ次へスムーズに繋がって別の世界に飛び込む事になったけど、もし地元に居たままだったらと考えるとゾッとするもん。。


そして毒親があの世にいって初めて楽になれるのは本当だと思う。


家族の問題は難しいけど、結局はいつか人は亡くなるし、自分の親だから子供だからって平等に愛情を注げるわけではない。哀しいけどそれが事実なんだ。

(しかし、親が子供に何の愛情もないわけではないかも、とも思いたい。1ミリは)

それを受け止めた上でじゃあ自分はどうする?って冷静に考えられるようになった時がその人の本当の人生の始まりなのかもしれない。





    

毒親という言葉が流行りだしてその位時がたったんだけど、親もその兄弟親戚みんな自分より先に死んでしまう事が殆どで、「どうせ皆死んでしまうんだ」という一言で片付けられる。


なので毒親という言葉に縛られる必要はないし、親なんかより子供は自分のやりたいように生きて幸せになるのが一番いいんだと思うようになった。


身内の事で悩む人は沢山いるけど、だからって時間は戻せない。


家族にこんな事するのは罪悪感があるとか酷いのではないかとか思う人もいるかもしれないが、そんな気持ちは相手には残念ながら伝わらない。


なので自分が変わるしかない。 独身日記ランキング

親戚は意地悪な人が多くて幼い頃は交流があったけど、成人してから全く誰とも会っていない。


とある親戚のおばさん(息子は薬学部)が私が大学に合格した時に電話が掛かってきて、大学名を聞かれたら「それは何という漢字で書く大学なの?」とめっちゃ馬鹿にした様子で言ってきて、私は一字一字丁寧に大学名の漢字を伝えた記憶がある。


(ぶっちゃけ口頭で説明しなきゃいけないほど難しい大学名じゃない。)


なにこれ、ヤバい。。


で、この親戚のおばさんの2人の子供なんだけど息子は何とか結婚して(薬学部卒業後、鬱になったり職を転々としていた)娘は、、やっぱり独身。


娘はやっぱり独身。。



なんで独身なのかは何となく分かるわ。

小学時代

土日は両親も仕事が休みだったんだけど両親は喧嘩になる事が多く、ある日母親がキレて包丁を振り回しそのまま鞄に包丁をしまい込んで祖母に家に避難する出来事があった。

近所の人も喧嘩絶対に聞いていたと思う。

土日ってもう少しのんびり穏やかに過ごしたい人が殆どだし、ピリピリ緊張状態が続くのって心休まる暇がなかったと思うのだけど、母にとって祖母の家はわがまま放題にふるまえる場所で、嫌になるといつも祖母を頼っていた。


なので、案外親がいない家が私は楽だった気がする。実家がゆっくりできないのは大人になっても変わらなかって、実は東京に住んでいる今が一番落ち着けて心の平和を保てている。

私が初めて東京に行ったのは、小学生の時で家族旅行だった。

が、両親の喧嘩勃発で嫌な記憶が残っている。

記憶は薄れているんだけど、上野動物園で両親が喧嘩になった。

フードコートで家族揃って食事をとっていたが、キレた父が自分の食事の乗ったトレーを母のトレーに上からぶつけて(読んでくれる皆さんは想像して下さい、ヤバイでしょ?)

食事はぐちゃぐちゃになって母はキレて何処かに消えてはぐれてしまった。

しかも当時は携帯なんてないし、連絡手段もなし。


兄と父と私で母を探して、何とか見つけた記憶がある。確かあちこち動き回った、足が棒になるまで歩いていたかなあ、、


そして上野駅周辺の人混みの中でなんとか母を発見。


母は関西に戻るために、交番に行ってお金を貸して貰おうとしていたらしい(財布を父に預けていたから)交番に相談したら警察署を案内されそこに向かう途中だったとの事。


もし母が見つからなかったらどうなっていたのだろう。


他にも激しい喧嘩話は山ほどあるけど、、とりあえず私が東京に初めて来たのは小学生の時だったわ。




小学生の時、府内の小学生が全員受ける統一テスト(記憶が曖昧だけど、そんなテスト)があったんだけど、その結果を教員であった父親が私より先に結果を知っていて、夜に寝ている時にリビングで「算数の点数が良くない」とか厳しい言葉で母親に言っていたり、中学校の期末テストの成績の紙を渡したら、1段階から5段階まで勝手につけられたり、学校の先生って何でも評価するのが大好きで(自分が評価されるのは嫌なくせによ)ちゃんとした通信簿やちゃんとした結果が出る前に私は評価されているっていう環境だった。

今から考えるとありえね~(苦笑)

兄もこの環境は嫌だっただろうな~特に兄は一番きつかったしプレッシャーも強かったと思うから地獄だったと思う。


だいたい田舎の教師の子供って、人口が少ない町であれば少し他の生徒より目立つし(〇〇先生とこの娘さんとかね。あくまでも教師界隈ではだけど)色々見られている事もあり、私も兄も平凡な子供だったのに何気に気が休まる時がなかったのかもしれない。


兄は地元で生活をしているが私は東京に出てきて本当に良かったと思う。

あ、因みに学校の先生の仕事って教育で子供の能力を伸ばすのが一般的な考え方だと思うんだけど、実際は100人の生徒がいたら1番から100番まで順位を付けるのが仕事なんだよね。

もし、本当に子供の能力を伸ばすのが仕事であれば私の父みたいにただ評価するだけで、点数が低かった科目をディスるだけにはならないハズ。


教育実習の時、教頭先生が家庭の力が8割で我々の力は2割と言っていてそりゃあそうだと納得。

家庭の力が8割なんだから、家庭が学校ではいけないんだよ。

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