🌟 宇宙の真理と家賃36,000円の牢獄
スピ汚、こと大河原清史の朝は、天井がシミだらけのドミトリーで始まる。44歳。「俳優」と自称して20年。しかし今日の予定は、都内某所の建設現場での単発日雇い。手取りは良くても1万円だ。
彼が眠るベッドの頭上には、自作の「波動調整ボード」が貼り付けられている。アルミホイルとクリスタルもどきを貼り付けた安っぽい代物だ。
「目覚めよ、清史。宇宙は君を待っている」
清史は誰に聞かせるでもなく呟き、YouTubeを開く。彼の聖典、エイブラハムの動画が、今日も耳元で甲高い女性の声で響く。
「あなたが求めるものにフォーカスしなさい。抵抗を手放せば、すべては自動的に流れ込むのです」
清史は深く頷く。そうだ。自分が俳優として成功できないのは、この低周波な物質世界が、自分の高周波なバイブレーションを邪魔しているからに他ならない。才能がない? そんなアドバイスをする奴は、まだ「目覚めていない」のだ。
彼の住むシェアハウス「アメニティ松風」は、家賃36,000円の男女混合ドミトリー。7年間の滞在歴は彼を古株、すなわち王様にした。
「おい、ミカ。お前の皿、昨日の夜からシンクに置きっぱなしだろうが」
彼は共同キッチンに入り、20代の入居者を威圧する。ミカは怯えながら「すみません」と謝る。彼が清史の指示に逆らえないのは、彼の「王様」としての存在感と、万が一彼を怒らせたときの後始末を恐れているからだ。
清史は、このシェアハウスという小さな、閉鎖された空間での優越感に安住していた。だからここを離れられない。家賃36,000円で「王様」の地位と引き換えに、自分の人生すべてを差し出している。
午後3時。今日の建設作業は肉体的にきつかったが、清史の心には別の重荷がのしかかっていた。ネットワークビジネスの集会だ。
彼が傾倒するスピリチュアル組織「コスモ・アウェイクニング」。彼らが売るのは、一本5万円の「エナジーウォーター」だ。清史はすでに、消費者金融から借りた金で在庫を抱えている。
会場である公民館の一室で、リーダーの男が壇上で熱弁を振るう。
「皆さん、宇宙の富は無限大です!しかし、あなた方が貧しいのは、受け取り拒否の波動を出しているからです!このエナジーウォーターは、あなた方の波動を瞬時に整えます!」
清史は興奮する。そうだ。自分は受け取り拒否の波動を出している。
集会後、リーダーに呼び出された清史は、小型の個室で詰問される。
「清史君。今月の売り上げゼロはまずいよ。君のチームの皆が、君を低周波な抵抗勢力だと見ているぞ」
「わ、私は…毎日、エイブラハムを聞いて波動を整えています!きっと、もう少しで…!」清史は焦る。彼はこの組織の「富の循環」という名の借金と精神的な支配から、一歩も抜け出せないでいる。
「清史君。この世界は、引き寄せの法則で成り立っている。君の低周波な現実、すなわちドミトリーと日雇いの現実は、君自身が引き寄せたものだ。目を覚ませ」
この冷たい指摘だけが、清史が唯一受け入れることのできる「真実」だった。そう、すべては自分の責任。しかし、その原因は「才能がない」ことではなく、「波動が低い」ことなのだ。
夜。清史は帰宅し、自分のベッドの上でうずくまる。
20代の頃。女性用風俗店で働き始めたとき、彼は人生の逆転劇を夢見た。しかし、顧客を掴めず、たった2か月でクビを言い渡された。「お前は客が求める幻想を作れない」という店の言葉は、彼の自称「俳優」としてのプライドを粉々に砕いた。
彼は、現実の失敗を直視するたびに、より強固な「宇宙の真理」という名の幻想のシェルターに逃げ込んだ。
「宇宙は私を知っている。この世界は、私の真の価値をまだ測れないだけだ」
清史は、壁の波動調整ボードを見つめる。彼は知っている。明日もまた、この36,000円の四畳半の空間から、宇宙の富を引き寄せるという名の、空虚な戦いに出かけなければならないことを。
彼にとって、スピリチュアルは真理ではない。それは、自分自身の失敗と無能さから目を背け、決して崩れない「自分が正しい」という幻想を与えてくれる、唯一の安息所なのだ。
そして、その幻想の世界を支配する「王様」として、彼は今夜もドミトリーの硬いベッドで、明日もまた現場に向かうための僅かなエネルギーを、エイブラハムの耳障りな声から絞り出すのだった。

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